会場は金山地区の金亀館
もう少しでイチョウが黄色くきれいに色づくのですが、ちょっと早かったようです。
地元の野菜をたっぷり入れて
庭のゆずの木からひとつだけ・・・
アユも登場
囲炉裏を囲んで
たくさんの人と
カラオケやりながら
楽しいひと時を過ごしました。当番の方はお疲れさまでした。
来年もよろしくお願いします。
大正橋近く、家の畑にたぬきカップル観ました、最近ちょくちょく出たのですが長い時間動かずにいたので写真撮りました。NHK「さわやか自然百景」飯能市の「名栗渓谷」放映された場所に近いので関連のたぬきかな?
新たに探るタタラ場の痕跡
飯能の地名と神社名から、かつてここに「タタラ場」が確実に存在したことを物語っている
飯能市郷土館様より、下記コメントをいただきました。貴重な資料を当ホームページにご提供いただき、御礼申し上げます。今後の貴館の活動が飯能市の文化・風土浸透につながることを祈念いたします。
【以下、郷土館様より】
「全六回にわたって山川家文書を中心に古文書や目録についてご紹介させていただきました。この連載を通して古文書や目録、そして地域の歴史を少しでも身近なものとして感じていただけましたら幸いです。
最後になりましたが、連載を快く快諾してくださった原市場東自治会のみなさまに、心より感謝申し上げます。」
番外編として、収蔵資料目録についてのお話と目録の活用方法についてご紹介いただきました。
最後は 番外編として 、 収蔵資料目録についてのお話 をお届けいたします 。
二回に分けてお届けしますので、当館刊行物についてのご理解をお願いいたします。
第三回では、義太郎が帝国大学工科助教授を務めていた明治20年代を中心にしまたが、第四回ではそれ以降の義太郎について、とりあげます 。
残念ながら、山川家文書の中には、明治山川家文書の中には、明治27年より後の史料がほとんど見られません。そこで今回は、帝国大学や義太郎が所属していた会に関する周辺史料を中心に探っていきたいと思います。
今回は、義太郎が帝国大学工科大学助教授を務めていた明治20年代を中心としたお話です。
【飯能市郷土館編纂】
飯能市郷土館にて2015年末に7冊目の収蔵資料目録として、原市場地区の3つの家の史料群の目録が刊行されましたが、そのうちの1つが下赤工の山川義太郎博士の家になります。目録には解題といって、その家の文書からわかることがまとめられております。残念ながら旧下赤工村の村の様子がわかる資料は決して多くありませんが、山川義太郎博士の人となり、またその家族間のやりとりの中から地域の様子が見えてくるものもあります。
そこで本シリーズは「原市場が生んだ偉人、山川兄弟」と題し、主に収蔵資料目録の成果から、長男 義太郎をメインに山川兄弟の足跡の一端を四回に分けて明らかにしていきたいと思います。
第一回「山川家文書と山川家の系譜 」
第二回「山川家の人々」
第三回「助教授時代の生活」
第四回「工学博士山川義太郎」
番外編「古文書が語る郷土の歴史」
原市場東地域 全体Map